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「6」のつく日 語り部さんとお話ししよう!
2021年7月16日 @ 11:00 AM - 5:00 PM
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「6」のつく日
語り部さんとお話ししよう!
〜Talk with A-bomb survivors〜
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English below;
ハチドリ舎では
毎月「6」のつく日は、
語り部の方をお呼びしています。
大勢に対して語りかける証言会ではなく、
身近に語り部のじいちゃん・ばあちゃんと
話して、仲良くなってもらいたい。
そんな想いで、
小さな規模で直接お話しできるよう
語り部の方にカフェに滞在してもらっています。
こちらからご予約をお願いします。
予約後、自動返信でzoom参加URLを送付いたします。
https://forms.gle/HEa7CDJ87xgDo9AT9
※予約制で直接お話しすることもできることになりました!
店内で直接お話をご希望の方は、上記申し込みフォームからご希望時間をご記入ください。
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You can talk to A-bomb survivors
at Social Book Café Hachidori-sha
on 6th, 16th, 26th every month.
It is not like a lecture,
but a casual talk with them.
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今回来てくださるのはこちらの方。
◆高村 秀樹(タカムラ・ヒデキ)さん
広島被爆 1943.11.8生まれ 被爆当時1歳
「当時の記憶は全くありませんが、爆心地から2.6km、木造家屋で被爆しました。家の中の壁のかげで、15歳の親戚のお姉さんに抱かれていました。一瞬の差で何を逃れ、お姉さんも自分もかすり傷もなく無事でした。父は爆心地から1km離れた広島市役所の地下室で執務中に被爆。ガラスの破片が腕と額に無数に突き刺さったまま、血だらけの状態で帰宅しました。戦後もその破片をすべて取り除くことはできませんでした。母と従姉は洗濯ものを干した後すぐに被爆。母は左足に火傷をおい、ウロコ状のケロイドは終生残りました。
1912年から広島市内を走っている路面電車も原爆で被爆しました。戦時中、出征中の男性運転手の代わりを務めていた女学生も多くいます。戦後、市民の生活が再開される中で、路面電車も息を吹き返しました。被災者たちの屈強なる復興の精神力を、被爆国日本の底力を、次世代へと語り継いでゆけたら。」
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