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Talk with A-bomb Survivors in English 〜「6」のつく日 語り部さんとお話ししよう!〜
2019年2月6日 @ 11:00 AM - 5:00 PM
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Talk with A-bomb Survivors in English
〜「6」のつく日 語り部さんとお話ししよう!〜
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★On 6th you can listen to their stories in ENGLISH★
You can talk to A-bomb survivors
at Social Book Café Hachidori-sha
on 6th, 16th, 26th every month.
It is not like a lecture,
but a casual talk with them.
We would like you to make friends with them,
and know what happened on the day in person.
*
ハチドリ舎では
毎月「6」のつく日は、
語り部の方をお呼びしています。
大勢に対して語りかける証言会ではなく、
身近に語り部のじいちゃん・ばあちゃんと
話して、仲良くなってもらいたい。
そんな想いで、
小さな規模で直接お話しできるよう
語り部の方にカフェに滞在してもらっています。
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お越しいただくのは
◆二川 一彦(フタガワ・カズヒコ)さん
当時32歳だった母広子さん(2000年に87歳で死去)のおなかの中で被爆。14年8月に発足した原爆胎内被爆者全国連絡会の代表世話人の一人を務める。
◆堀江 壯(ホリエ・ソウ)さん
1940年10月17日生まれ。広島県広島市在住。
「4歳のとき、路上で、強烈な閃光と爆風に襲われ吹き飛ばされました。一緒にいた姉がとっさに覆い被さってくれて大きなけがはありませんでした。閃光と爆風の原因は、3km離れたところで炸裂した原爆でした。今も脳裏に焼き付いて離れないのは、自宅に避難して来た子どもたちが大火傷に苦しんでいた姿です。
64歳の頃(2004年)から、世界へ被爆体験を発信し国際交流を行う団体「ワールドフレンドシップセンター」に所属しています。語り部の減少に危機感を覚え、練習を重ね、2012年からは海外からのゲストに英語で被爆体験を語る活動もしています。」
◆眞木 淳治(マキ・ジュンジ)さん
広島被爆 被爆当時14歳。
牛田の親戚宅から舟入川口町の工場に毎日動員学徒として通っており、その工場で被爆。壁の無い作業場でまともに熱線と爆風を浴びて大火傷を負った。友達と一緒に、己斐・横川・白島を経由して牛田の親戚の家へ帰る。8日の夜家族が迎えに来て自宅の倉橋に帰った。その後も後遺症に苦しみ現在原爆展を成功させる「広島の会」の一員で、語り部としても活躍中。
<当日、ご都合が合えば>
◆森川 高明(モリカワ・タカアキ)さん
広島被爆 1939年5月4日生まれ。被爆当時6歳。広島県広島市西区在住。
黒い雨による被曝(爆)とその後の放射能汚染された飲食による被曝。当時、爆心地から300mの天神町北組(所)に住んでいたが、原爆投下の5カ月前 に佐伯郡八幡村に疎開。肺炎を患い、爆心地から10kmの病院に入院していたため直接被爆を免れた。被爆体験証言活動は日本国内にとどまらず、アメリ カを中心にイギリスやニュージーランド、オーストラリアでも証言し、核のない世界のために活動をしている。
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